• リセット

    仕事を辞めて、0になりたい、という願望が日に日に募っている。

    新卒から入社して16年。自我は辞めるな、辞めたら大変だと騒いでいる。

    だけど、心は辞めたいと訴えている。心を信じたい。

    きっと精霊が、人生を導いてくれるはず。

  • 迷い

    仕事を辞めるかの迷い。人脈なし、金なし、スキルなし、やる気なし。

    40歳で0歳という言葉を知る。仕事をやめるなら今がちょうど良いタイミング。じゃあ、何をやったらよいかといわれてもさっぱり。

    もう、宇宙にゆだねるしかない。サレンダー。どうにでもなれ。

  • 自我の判断

    振り返れば、これまでの人生、ほとんど自我の判断の中に生きていた。

    不安、恐れ、安心、安全、勝ち、負け、承認、、、

    自我を手放すことは判断を手放すこと。サレンダーすること。

    すべてを宇宙に任せる。精霊(ホーリースピリット)に助けてもらう。

  • 思考

    思考はほとんど自我の働き。悩むことに効果はない。

    頭で考えても答えは出ない。宇宙に身をゆだねる。

    神の子であることを思い出す、そうすれば、きっと、宇宙とつながり、精霊(ホーリースピリット)に導いてもらえる。

  • 宇宙にゆだねる

    自分の生き方がわからないとき、頭で考えても答えが出ないので、宇宙にゆだねてしまうのがよい。

    宇宙に自分をささげる生き方。

    そうすれば、人生は勝手に導かれていく(はず)。

    肩の力を抜いて、過去を手放し、未来を恐れず、今をささげる。

  • 月と太陽

    僕たちは、自分を月だと思っている。だから、自分を輝かせてくれる太陽を求める。資産、地位、名誉。

    褒められたい、認められたい、何者かになりたい。

    それらが手に入れば、光り輝けると思っている。

    だけど、本当は、僕たちが太陽なのである。外側にある、価値のありそうなものはすべて、僕たちの光を反射させる月に過ぎない。どれだけ太陽の周りに惑星や衛星が飛んでいても、太陽の輝きは変わらない。

    いったん、月のことは忘れて、自我によってくすんでしまっている自らの輝きに気づこう、思い出そう。

    自我を手放すほどに、本当の輝きが戻ってくる。

  • 許す

    許せないという思いはエゴ。

    なぜ、その人を許せないのか、どうしたら許せるようになるのか。

    自分が我慢していることを我慢していない人を見ると許せない。

    自分よりわがままな人を許せない。

    たとえば、本来、上司がやるべき仕事を、自分が担当することがある。

    上司の方が給料を多くもらっているのに、なぜ、自分がその仕事をやらなければならないのか。いらいら。

    別の仕事も、その上司は、自分ではやらずに別の部下にその仕事を割り当てる。

    その上司は、自分ではやらない、責任を取らない。

    どうしたら、その上司を許せるのか。

    ・その上司がエゴ、恐れにとらわれて悪夢の中にいることに気づく。

    ・人を裁けば、自分が裁かれることを念頭におく。

    ・神の子である、自分も上司も本当は罪はないことを思い出す。

  • 時間を早める

    神の子であることを思い出すために何度も輪廻を繰り返しているならば、目を覚ますことを決めた意識たちは、輪廻を終わらせる、つまり、時間を早めているといえる。

    この世界で夢や希望を叶えること、成功することが必ずしも目を覚ましやしやすくなるとは限らない。

    夢破れてもいい、失敗続きでもいい、悪夢の中で起こるあれやこれやにとらわれずに、シンプルに目を覚まし続けよう。

  • 神への旅路

    「神への旅路とは、単に自分はどこにいるのか、そして自分は永久に何なのか、その知識に再び目覚めるということに過ぎない。(第八章)」

    僕たちは眠ってしまっている。深い深い眠りに。エゴという眠りに。悪夢のような眠りに。

    自分が眠っていることすら忘れていたが、ようやく思いだした、自分が悪夢を見ていることを。

    悪夢はどこまでも悪夢。多少、ラッキーなことが起こっても悪夢に変わりない。だから、夢の中でもがくのをやめて、今から目を覚まそう。神の子であることを思い出そう。

  • 自己イメージ

    10代、20代の成長期において、自分とはどういう人間かという自己イメージを作り上げていく。ウィルバーの言う、中期自我、後期自我の段階。学生時代に勉強ができたり、スポーツができたりりあげる、目立った活躍ができると、ポジティブな自己イメージを作。逆に、勉強が苦手だったり、運動音痴だったりすると、ネガティブな自己イメージを持つ人もいる。このようにその人が育った環境に適合するために自己イメージを作り上げるのだけど、社会にでると、役割や環境が変わり、自己イメージがそれらと合わなくなってくる。

    例えば、自分は優秀だと思っていたのに、自分よりはるかに優秀な人間が目の前に現れる。自己イメージを維持するために、最初のうちは優秀でい続けようとがんばったりする。それで成果が出たりして一時的には優秀な自分を証明できてほっとするのだけど、もっと優秀な人間が現れて、どんなに頑張っても、その環境の中で優秀で居続けられなくなる。そうなると、今度は、自分より劣っている(ように見える)人を見つけて、その人を見下すことで、間接的に自分の優秀さを維持しようとする。

    ところが、そんなことを続けていると、他者に不快な思いをさせている自分にふと気づく。そして、そんな自分にほとほと嫌気がさす。そうすると、自己イメージが崩壊しだして、本当の自分が少しずつ現れてくる。