• 自己イメージ

    10代、20代の成長期において、自分とはどういう人間かという自己イメージを作り上げていく。ウィルバーの言う、中期自我、後期自我の段階。学生時代に勉強ができたり、スポーツができたりりあげる、目立った活躍ができると、ポジティブな自己イメージを作。逆に、勉強が苦手だったり、運動音痴だったりすると、ネガティブな自己イメージを持つ人もいる。このようにその人が育った環境に適合するために自己イメージを作り上げるのだけど、社会にでると、役割や環境が変わり、自己イメージがそれらと合わなくなってくる。

    例えば、自分は優秀だと思っていたのに、自分よりはるかに優秀な人間が目の前に現れる。自己イメージを維持するために、最初のうちは優秀でい続けようとがんばったりする。それで成果が出たりして一時的には優秀な自分を証明できてほっとするのだけど、もっと優秀な人間が現れて、どんなに頑張っても、その環境の中で優秀で居続けられなくなる。そうなると、今度は、自分より劣っている(ように見える)人を見つけて、その人を見下すことで、間接的に自分の優秀さを維持しようとする。

    ところが、そんなことを続けていると、他者に不快な思いをさせている自分にふと気づく。そして、そんな自分にほとほと嫌気がさす。そうすると、自己イメージが崩壊しだして、本当の自分が少しずつ現れてくる。

  • 努力の意味について

    夢や目標を達成するために努力する、その結果、叶ったり、叶わなかったり。

    必死に努力して夢が叶うと一時的にうれしくなる。だけどそのうれしさが長続きしない。夢が叶って気づくのは、自分がほしかったものはこんなものだったのかという思い。いったい何のための努力だったのか。

    夢が叶わなくても同じ気持ちになる。あんなに努力したのに、いったい何のための努力だったのか。

    自我が作り出す夢や目標を目指して、努力すると、それが叶っても叶わなくても、その努力とそれに捧げた時間とエネルギー、夢は、実は意味のないことだったのではと気づくようになる。

    それに気づくと、絶望して、自我が外れだす。ここに努力の意味があると思う。

  • 自我の手放し

    奇跡のコースを読んでいると、ひたすら自我を手放すこと、自分自身の本質(愛)を思い出すことを説いているように感じる。

    自我とは、恐れ、不安、過去、未来。これらは幻想で、僕たちはその幻想の中に、か弱い草食動物のように囚われている。

    自我を手放すことは、自分自身の力を取り戻すこと、幻想を幻想であると見抜くこと、恐れではなく、安心、平和、安らぎを増やすこと、精霊の声を聞くこと。